以前に「東北三大祭り」というものを紹介しました。
「東北三大祭り」は比較的に有名なものでそれに3つをたして「東北六大祭り」まであるそうです。
今回はそんな東北の祭りついて話をしていきたいと思います。
目次
東北三大祭り+3の『東北六大祭り』とは
東北三大祭りとは
◇青森ねぶた祭 (青森県青森市)
◇秋田竿燈まつり (秋田県秋田市)
の3つです。
くわしくはこちらの記事をみてくださいね↓
東北三大祭りって知っていますか?起源や祭り紹介
これらの祭りは主に「七夕」が由来となっているものです。
これに
◇盛岡さんさ踊り(岩手県盛岡市)
◇郡山うねめまつり(福島県郡山市)
をたして「東北六大祭り」と言います。
では、3つの祭りのそれぞれの起源について話をしていこうと思います。
山形花笠まつりの起源
歴史としてはそれほど古いものではありません。
1963年(昭和38年)に山形の蔵王の観光開発とPRを目的としてが開催された「蔵王夏まつり」から派生したものとなっています。
蔵王夏まつりのイベントの1つだった「花笠音頭パレード」が、1965年(昭和40年)に「山形花笠まつり」として現在のような独立したお祭りになりました。
「山形花笠まつり」で歌われる「花笠音頭」は、別名「花笠踊り唄」とも呼ばれ、その起源については諸説あるようです。
一番有力な説は、明治・大正の頃、山形県村山地方で歌われていた「土突き唄」が元唄となり、1919年(大正8年)頃に船方節や八木節などがミックスされて、できたのが「花笠音頭」だという説です。
現在のように賑やかな伴奏を入れて民謡化したのは昭和初期のころです。
現在歌われている「花笠音頭」の歌詞は、従来からあった2歌詞に加え、県内外から公募した13歌詞を加えた15歌詞で構成されており、最上川の流れに沿った各地の名所名物を歌い込んだものになっています。
また踊りについてですが、当初は菅笠に紅色に染めた紙を結びつけ花笠をつくり、これを振ったり回したりして景気をつけたのが始まりのようです。
盛岡さんさ踊り
1971年(昭和46年)に始まった「盛岡川まつり」が元となっています。
街を象徴する北上川や中津川を舞台に、飾り船の競争や花火の打ち上げなどが行われていました。
しかし、「見る」祭りではなく「参加する」祭りにして一体感を高めたいという気持ちから「さんさ踊り」を取り入れるこ とにしました。
それから様々な問題を乗り越えて今の「盛岡さんさ踊り」となりました。
「さんさ踊り」の起源は、盛岡市那須川町にある三ツ石神社の三ツ石神社伝説に由来しています。
その昔、南部盛岡城下に羅刹という鬼が現れ、悪さをして暴れていました。
困り果てた里人たちは、三ツ石神社の神様に悪鬼の退治を祈願しました。
その願いを聞き入れた神様は悪鬼をとらえ、二度と悪さをしないよう誓いの証として、境内の大きな三ツ石に鬼の手形を押させました。
鬼の退散を喜んだ里人たちが、三ツ石のまわりを「さんさ、さんさ」と感謝のまごころを捧げて踊ったのが、「さんさ踊り」の始まりだと言われています。
ちなみに現在「盛岡さんさ踊り」で踊られているものは、この「さんさ踊り」とは異なります。
1977年(昭和52年)に地域によって踊り方が違うことや、全体的にリズムが早く、一般の祭りの参加者が踊るには難しいという問題から「統合さんさ踊り」という祭り用のものが作られました。
郡山うねめまつり
1965年(昭和40年)に旧郡山市と安積郡9カ町村が合併し、市民が一体となれる祭りを催したいという気持ちから、郡山市と郡山商工会議所が中心となり、郷土の伝説である奈良時代の宮中女官の「采女物語」を主題とした祭りが作られたことが始まりです。
◇「采女物語」というのは
今から千二百年ほど前のこと、安積の里は 朝廷への貢ぎができないほどの冷害が続き、このため都から、葛城王後の左大臣橘諸兄が巡察の為に訪れました。
里人たちは王に窮状を訴えるとともに、年貢を免除してくれるように頼んだが聞き入れてもらえず、困り果てていました。
その夜、王をもてなす宴が開かれ、王は里長の娘、春姫が目にとまり接待を命じられることとなりました。春姫は心から王をもてなし、次の歌を献上しました。
「安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を吾思はなくに」
(万葉集 巻十六)
安積山の影を映す山の井の清水はあまり深くはありませんが、いつも私たちの心のように澄んでいます。わたしたちはこれでも精一杯、真心を込めておもてなしをしているのです。
すると、王は大変喜び、春姫を帝の采女として献上することを条件に、貢物を3年の間免除してくれることとなりました。
春姫には小糠治郎という許婚がいました。
一時も離れていたくないほどに愛し合っており、治郎は野良仕事へ行く時はいつも春姫の絵姿を持って出かけるほどだったそうです。
その後春姫が都に上がり、愛しい許婚を失った治郎は嘆き悲しみ、夜毎、春姫への変わらぬ心を笛に託していつまでも吹きつづけました。
しかし、その悲しみをこら えられなくなり、治郎は永久の愛を誓いながら山の井の清水に身を投げました。
都で春姫は、帝の御蘢愛を受けていたが、仲秋の名月の日、次郎恋しさに猿沢の池畔の柳に衣をかけ、入水したように見せ、愛する次郎の待つ安積へ向かいました。
帝は春姫が亡くなったと思い、春姫を供養する祠をつくり次の歌を詠んで捧げました。
「吾妹子(わがもこ)が寝くたれ髪を猿沢の池の玉藻にみるぞ悲しき」
(万葉集)
恋しかりし人よ、あなたが朝起きたときに乱した髪も今となっては恋心となって蘇ってくる。
わたしは、猿沢の池に浮かぶ藻が、あなたのその髪のように見えて嘆き悲しんでいるのだよ。
一方やっとのことで故郷に着いた春姫に待っていたのは治郎の死という事実でした。その悲しみから雪の降る夜、あとを追って治郎と同じ山の井の清水に身を沈めました。
そして、雪が溶け春になると、山の井の清水のまわり一面に、名も知れぬ薄紫の美しい、可憐な花が咲き乱れました。
この花について、だれ言うともなく「二人の永久の愛が土の下で結ばれて咲いたのだ」という話が広がり、それ以来、里の人たちはこの花を「安積の花かつみ」と呼んだそう です。
それぞれの祭りの日程や雰囲気
◇山形花笠まつり (毎年8月5日~7日)
花笠を手に、山形の民謡「花笠音頭」に合わせて踊り、繁華街を練り歩きます。
いろんな振付と様々な衣装も見どころです。
踊りは地方によって振り付けが微妙に違い、10種ほどの流派が存在します。
その中でも、パレードでメインとなるのは、女性が花笠を頭上に掲げて踊る女踊りです。
また体を屈め、花笠を縦横に振り回して荒々しく踊るのが笠回しでなども迫力もあり見どころです。
ちなみに、このパレードには飛び入りで参加することもできます。
◇盛岡さんさ踊り (毎年8月1日~4日)
太鼓のリズムに合わせ、約250団体・2万人を超える浴衣姿の踊り手の姿や、2300本の笛の音・1万3000個を超える太鼓が鳴り響く、迫力ある光景が広がります。
「太鼓大パレード」では、踊り手のすべてが太鼓を鳴らして踊るというものもあり、姿も大迫力で見どころの一つです。
パレード終了後には各会場で「輪踊り」が開催され、この輪踊りには一般の方も参加できます。
◇郡山うねめまつり (毎年8月第1金・土・日)
うねめまつりは浴衣が推奨されていて、浴衣コンテストなどあります。当日に飛び入り参加もできます。
また、マーチングバンドの演奏などもあります。
地元の高校や自衛隊の駐屯部隊などの演奏を聞くことができます。
夜に行なわれる「踊り流し」というものが見どころです。
6000人以上の市民が、団体ごとに浴衣や衣装を身にまとい、10尺もある大太鼓と独特の囃子に合わせて踊る光景は見ものです。
今回は東北の夏祭りについて話をしていきましたが、どうでしたか。
以前に「東北三大祭り」については話をしましたので今回は省略しました。
そちらについても気になる方は「東北三大祭り」についての記事を見てください。
東北三大祭りって知っていますか?起源や祭り紹介
このように東北には色々な夏祭りがあります。
それぞれ様々な由来があり趣の違う祭りとなっています。
気になった方は是非足を運んでみてはいかがでしょうか。
written by ken-ken
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